2011/09/03

『怒り』について思う事

変わらないものなどない。

だからこそ、
様々な経験の中で人は変わっていける、成長していけるのだ

そんな風に思って、
ブログのタイトルを『生々流転』にした。 



本当に、生きていれば色んな事が起こるもの。

嬉しい事も楽しい事も、
心ふるわせる感動も沢山知った。

でも、あまり嬉しくない事、悲しい事
やり場のない様な憤りも、無慈悲や理不尽も知ることになった。

その時々の、自分の心のレベルで感じ、
自分の中でそれなりに処理してきた。

嬉しことや楽しい事があると、
細胞の一つ一つが喜んでどんどん元気になる気がする。

悲しいことがあると、
体中がしぼむような力の無さを感じる。

一番厄介なのが、『怒り』の感情。

原因とか、自分が正しいとか正しくないとか、
そういった事とは全く別に

なんだか、体中に毒の様なものが回って色んなものを
全部良くないものに染めてく感じ。

激しい怒りは、それだけで身体によくない気がする。


極端な理不尽などの例外を除けば

概ね、
『怒り』は“自分”に原因があるかも知れないと思う。

爆発の引き金を引くのが、他人の言動であるだけで
怒りの主だった原因は、自分の中にある。

…そんな気がしている。

怒りの感情は、原因は様々でも、「許せない」と思う時に起こる。

つまり、
自分の「思い通りにならない」時。

それが単なるワガママであろうと、
義憤であろうと

自分の中の基準に照らし合わせて、
「許せない!」「あってはならない事!」
そう思うから、怒りの感情が生まれる。



でも、

原因を解決しようと思っても
自分以外のものを変えるのはとても難しい。

怒りはエネルギーも生むが、冷静な判断力を奪ったりもする。

それは、原因や問題の解決には、ちょっとジャマかもしれない。

先ずは、怒りを処理しよう。

大事なのは解決することなのだ。

怒りを表明したり、
理解や同情をしてもらう事ではない。

その為に必要な事、

怒りの原因を外に出して冷静に見つめる事。
そして、深く考える事。

怒りに身を任せていたら、精神と身体が傷ついていく。

怒りを外に出すために、
その怒りに伴う様々な情報を、他人事のように分析してみる。

この際、自分のことでも他人のことでも、いいじゃないか
と…思う。

問題を解決できるなら、
誰の話だってかまわないよねって。

そして、
自分を変えることで対応できることにはどんどん対処していく。



そして、やっぱり、
自分を傷つけるのは自分なんだなぁと思う。

だったら、自分を救えるのも自分なんだな。

『怒り』は行動の原動力になるかも知れないが、
色々な物を破壊する。

一番破壊されるのは、自分自身の心(精神)と身体。

自分が正しい、相手が間違っている
と思っていても…それは解決の役には立たない。

ほとんどの場合、
みんな、自分が正しく、相手が間違っていると認識しているから。

だから、怒りをぶつけあう事は
往々にしてただの意地の張り合いだったり
消耗合戦でしかなかったりする。

…議論するのに怒りは邪魔になる。

怒りは瞬間の原動力でしかない。


さあ、怒ってないで 問題を解決しよう!…と自分に言い聞かせる。

好き好んで、
自分の中に怒りの毒を巡らせることはないのだ。

そんな暇があったら、
もっともっと、明るい未来に向けて
自分に出来る事はいっぱいあるのだから。