2011/12/20

揺らいでいた心が

3.11以降、心が揺らぐことが多くなっていた。

未曽有の惨事というものに
直面という程ではないにしても、それなりに日常生活に影響を受け。

様々な情報が飛び交う中、
自分なりの対応をせねばという焦燥感・切迫感はきっと
みんな多かれ少なかれ感じているはず。

その一方で、
いや、動揺してはいけない
徒に恐怖に支配された早計な行動はいずれ自分の首を絞めるし
周囲に与える影響も出てくるはず…
そんな風に、刻々と移り変わりグルグルとめぐり
安定だったり不安定だったりする思い。


この降って湧いた理不尽な出来事に自分でも次第に苛立ってくる。


じゃあ、一体、何をどうすればいいの?


出来ることしかできないし、無理なことでは続かない。

そんなこと分かってる。
でも、このままで良いわけはないんだから。


広島・長崎・チェルノブイリ・セミパラチンスク
様々なデータがある

生かす事は出来ないんだろうか?何かできる事はないんだろうか?

情報はいろいろ飛び交ってはいる。
でも、本当にいろいろで、どれも本当の様な嘘の様な…

地に足付けて、毎日の生活の中で 特別でない事、誰にでもできる事
探さなきゃ、見つけなきゃ、
このままじわじわと、家族も自分も何かに蝕まれていく気がする。

そんな中、ふと辿りついたのが手作り乳酸菌
そして、その流れでツイッターから広がった新しい人間関係の輪。

さらにそこから得た情報や知識、
その中から自分にもできる事を見つけようとした。

今、私の日常の中には、
ごく普通に、乳酸菌をはじめとする発酵食物があり
産地と作り手の見える玄米があり、
ミネラル分を充分に含んだ質の良いお塩がある。

豆乳ヨーグルトを作り、乳酸菌入りの風呂を作る。
塩麹を作り、様々な料理に活用する。
お塩を使って調理し、お掃除にも乳酸菌やお塩を使う。

外出時のマスクも、ほとんど気にならなくなった。

いま、すぐにはどこもにも行けない状況だったら
ここで出来る事に最善を尽くすしかない。

そう決めてしまえば腹も据わる。

沢山の人達が自分に出来る事をしながら、人の役に立つ事をやる。
情報が活発にいきかい、みんながそれぞれ自分の判断で、自己責任で、
色々な事を試しては、その状況をまたみんなにフィードバックする。
自分の事としてやりながら、他の人にも役立てるようにと考える。


「じゃあ、何をどうすればいいの!?」というところから出発して
いつまでもそこをグルグル回っていないで 
誰かのせいにして恨んだりなじったりしていないで
人のやる事にいちいちケチをつけたりしないで
いろんな事を試行錯誤しながら
互いにいろんなものを提供し、そして得る。


安心な空気は?
安心なお水は?
安心な食べ物は?

誰かが探しているものを誰かが知っていないか?
誰かが求めているものを誰かが提供できないか?

誰かが抱えている不安や苦しみがあれば
誰かの経験や誰かの知恵で
乗り越えるきっかけをつかめるかも知れない。


依存し合うことなく助け合える繋がりはとても心地よく、
自分も誰かの何かの役に立ちたいと、
自然に思うようになってくる。


この世界は、本当に必要としていて、
真剣に求めるならば、きっと与えられるんだろう。

聖書の言葉にもそんなものがあった気がする

もしかしたら、

自らが求めなければ
与えられないと思った方がいいのかも知れない

私の揺らぐ気持ちも、相変わらずあったりするけど(笑)
いつまでも揺らいでいても仕方ない。


生きていれば誰でも何かが起こ。
生きていればいつか終わりは来る。


今のままではきっと後悔すると思うから、
私はまだまだ、できる事をやっていないんだろうな。