2012/04/03

「能動的放射能」と「受動的放射能」と「瓦礫の問題」

昨日に引き続き、理論物理学者、井口和基博士のブログより
 (2012年4月2日の記事より 抜粋転載)

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(以下、抜粋転載)

かつての広島・長崎の原爆被災者といっしょで、
放射性物質を体内に多量に取り込んだせいで白血病になった人を
助ける手だてはない。ただ神に祈るほかはないのである。

なぜなら、普通の遺伝性の白血病やウィルス性の白血病であれば、
その根本原因を取り除けばなんとかなるかもしれないが、
内部被爆の場合には、放射性ストロンチウム(Sr90, Sr89)が骨に固定している
ために、造血細胞がやられてしまうからである。

放射性物質は、歴然たる物質である。
アスベストを肺に吸い込めば、アスベストが無慈悲に我々に
中皮腫という肺癌を発病させるように、
プルトニウムを吸い込めば肺癌、ストロンチウムは白血病、
セシウムは生殖異常、ヨウ素が甲状腺癌を発病させるものなのである。

放射性物質は、これら4種類が有名だが、これらが放射線を放出する度に
それがまた別の放射性物質の原子種に変換するのである。

だから、芋ずる式にどんどん未知の放射性物質が、
元の放射性物質の半減期の中で誕生するのである。

セシウム137とストロンチウム90:核図表の読み方とは? 
(※注 ↑クリックで関連記事へとびます)
 

はたしてそういう放射性物質をわずかでも含んでいる「放射性瓦礫」や
「地震被災瓦礫」が安全といえるだろうか?

もちろん、答えはノーである。

福島第一から海への「核廃液で汚染された瓦礫」、
「放射性物質で被爆した瓦礫」、
それ以外にも「地震災害による瓦礫」などさまざまである。
まあ、大方3種類だろうが、これらの混じり合ったものが一般的だろう。

核汚染物質による瓦礫には、原理的に2種類あり得る。

まず、福島第一原発の内部にあった、ウラニウムやプルトニウムなどの
原子炉活動のための燃料とその灰として生まれる物質がある。
これらが、原子炉が崩壊して外に出たというものが1つ。
大方、我々が気にしているのはこのタイプである。

しかしながら、これらは、放射性物質が半減期を経るうちに
別の放射性物質へとどんどんと核変換(原子が変わる)していくのである。
安定な鉛のような物質になるまで、どんどん名前が変わるのである。
だから、すべての放射性物質を検知する装置など存在し得ない。

もう1つは、放射性物質が飛び散った場合、
その物質に接触した、もともと原子炉の外部にあった物質が、
放射線を浴びて、それが自分の原子の中にある原子核にぶつかり、 
自分自身が核変換し、放射性物質となるということである。
これを「放射化」という。

要するに、一旦α線を浴びた原子核が核変換し、
その後それが再び安定な原子へと核変換する間、
あるいは、γ線を浴びた原子核がγ線を放射して元に戻る間、
自分自身が一時的に放射性物質になるということなのである。

この放射化の怖さは、今のところ、まったく問題にされていないが、
ちょっとでも被爆した日本人が海外へ行けば、海外の人が
5m以内に近づけないほど、海外の人は悪影響を受けるというほどなのである。
5m以内に近づくと、気分が悪くなったり頭痛を感じるというのである。

私自身も最近スーパーやコンビニに行くと、
なにやら気分が悪くなったり頭痛を感じることがあるから、
最近のスーパーやコンビニの製品もかなり放射化しているのではないかと
疑っているところなのである。

ここまでのことをまとめれば、

放射能の問題には、
原因となる放射性物質による「能動的放射能」の問題と、
そういう放射性物質の出す放射線によって引き起される「受動的放射能」の問題
という、2つが同時に出て来るということなのである。

生物にとって、どちらも同じくらいに危険なのだということである。

その昔、水爆を受けたビキニ諸島のトカゲが、被爆して放射化した結果、
「ゴジラ」が誕生したという物語になっているということが、
この被爆による放射能化、放射化という問題なのである。

さて、最後の3つ目。
これは普通の瓦礫、放射性物質のない瓦礫の問題だが、ちょっと前まで
「アスベスト被害」というものをあれだけ叫んでいたにもかかわらず、
この東日本の瓦礫問題では 一度も聞いたことがない。

しかしながら、築30年以上前の鉄筋コンクリートの家屋などは、
アスベストを非常に一般的に使用していたのである。
だから、建築瓦礫などの中には多量のアスベストやホルムアルデヒドなどの、
有害な化学物質が満載だろうということをお忘れではないのか?
ということなのである。

アスベストによる肺癌、中皮腫もまた放射能被爆と同様に、
発病するにはかなりのタイムラグがある。おそらく10数年はあるだろう。
だからいますぐに発病するのではないにちがいない。
しかし、吸い込んだアスベストはなかなか取り除くことは難しい。

こういうわけで、
かつてチェルノブイリを処理した旧ソ連アカデミーの要人たちのとった手法、
「瓦礫はコンクリートづめして処理する」というのが、
もっとも安全で理に適った方法であるということになるわけである。

それにしてもつい最近まで「核拡散防止策」とか言っていたにもかかわらず、
「放射性瓦礫を拡散処理する」というのは、それに反するということが
分からないのだろうか? 

「エントロピー増大の法則」ということを知らないのだろうか? 
核物質であろうがなかろうが、物質は黙っていれば、つまり何もしなければ、
必ずエントロピーが増大する方向へと動く。
だから、エントロピーが増大できないように、タンクにつめたり、
コンクリート詰めするわけである。

(以上、抜粋転載)
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井口博士は、このブログ記事の中で

遠い昔にギリシャのソクラテスが
「無知の知」というものを人々に知らしめたものだが、
自分の無知を知らないということほど恐ろしいものはないのである。

…と書いている。

『無知』に気づくためには、学ばなければならない。
学ぶという事は、自分以外から伝えられたものを受け止める事。
そして、それを自分の頭で考える事。

学ぶために知りたい事は『本当の事』。
本当の事を知りたいと思う人間が沢山いるのに、
それが正しく伝わらないのには、幾つかの原因があると思う。
 
それぞれの立場での思惑によるものはこの際別にして、
しっかりと情報を受け取って自分で考えるという機会を妨げているのは
意外と、伝える時の伝える人間の様々な感情による表現のせいかも知れない。

重大な問題であればあるほど、淡々と事実を述べられただけの方が
まっすぐに受け止めやすい気がする。
誇張しすぎたり、煽ったり、変に揶揄したりすることなく淡々と告げられた事実は
真剣に対処するべき問題として吟味される可能性が高くなると思う。

この現実の中で、自分に出来る事を考える為に必要なのは
感情的に無駄な遠回りしなくて済むような情報交換ができる事。
大切な事はシンプルに、難しい事は分かり易く。
それには伝える側の人間の、誠意と知恵と技術が必要かも。
相手にまっすぐ伝わるように… 

井口博士のこの記事は、とても大切な内容だと思う。
だから、深刻な問題だけどできるだけ淡々と伝える。